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クインシー 今日は新しいゲストをお迎えしての「まれいしあ物語」ですが、ゲストのご紹介をお願い致します。
安曇野

いよいよ東アジアサミットがクアラルンプールで始まります。今回は、その意義について話をすすめていきたいんですが私では役不足。そこで、このHPにマレーシア史をご担当いただいている南雲先生にご登場いただきサポートしていただきたいと思いました。

南雲 マレーシア史を担当させていただいております南雲 晶です。専門は文化人類学なのですが、アジアをフィールドにしはじめたのは最近で、まだまだ知識不足です。マレーシア近代がなかなか書けなくて悩んでいます。クインシーさんをはじめ皆さんにご迷惑をかけています。
安曇野 イギリスの植民地支配の位置付けとその実態は、今度形成される東アジア共同体各国の性格を示すものでもあり、微妙なニュアンスの差が問題で、東アジアサミットとかなり密着した問題ですね。たぶん南雲さんは、新しい歴史観の確立をめざすくらいの心づもりで担当されているので、悩むんだと思います。
南雲 有難うございます。安曇野先生のお言葉を大切に新しい立場からマレーシア史を記述できたら、と思っております。
クインシー で、何にお悩みになっていらっしゃるんですか・・・
南雲 クインシーさんのお父さま、お母さまの生まれる50年前、あるいは200年前のマレーシア史の記述が、切り出せないんです。それは日本人としての私が記述するからだと思いますが。・・・例えば、「大東亜共栄圏」についての歴史的理解については、歴史学上は確定しているのですが、現代政治の側からすると理解の意味が異なってきますからね。
安曇野・・ それはそれとして、アジア現代史の新しい一歩を刻む「東アジアサミット」が12月に開催されますね。歴史的には、どの様な意味があるのでしょうか。
南雲 歴史的意味ということではないんですが、第一は、1990年にマハティール前首相が提起した東アジア経済圏(EAEG)構想が15年経って、やっと実現したということですね。それも第一回の首脳会談が、クアラルンプールで開催されるということは意義深いことです。
安曇野

ああ、そういうことなんですね。マハティールさんのルックイースト政策の延長線に、東アジア経済圏の形成というビジョンもあった訳ですね。

南雲 はい。歴史的意味としては、アメリカ一極化とイコールの、グローバル化に抗して、アジア共同体をめざす動きが具体化したということは、アメリカにとって許しがたい動きなんでしょうね 。
安曇野 確かに、アジア経済圏構想はアメリカに叩かれて挫折しました。
南雲 現在の枠組みは、1997年に形成されたASEAN+3です。タイを発端に発生した通貨危機を乗り切るためにASEANが日、韓、中の三カ国を招請し、未曾有の通貨危機への対処策の協議をしたんですね。政治的な対立や思惑の違いを脇に置き、危機を乗り切るために協力関係を強めるしかなかったんです。
安曇野 風力とバイオマス発電は、地球にやさしいエネルギー源ですから、日本の電力会社も注目ですね。南支那海で、中国と試掘競争をするよりも、バイオマスエネルギーの研究にもっと予算を入れた方が日本のためにも、地球のためにもいいですよね。
クインシー パーム油産業は、マレーシアの輸出産業のトップですからね。2004年ベースで、マレーシアのパーム収穫量は6977万トンで、パーム原油は1397万トン、単純計算でいけば5500万トンのパーム圧搾残留物が出るということでしょう。
安曇野 東アジア諸国は、経済危機を通して域内の各国がいかに運命共同体として、相互に密接に結びついているかを痛感し、様々な考え方の相違を越えて地域協力の必要性を自覚した訳ですね 。
南雲 それで、98年に韓国の金大中元大統領の提案で、「東アジア共同体」構想が誕生しました。ASEAN+3会議の席上、提案されて「東アジア・ビジョン・グループ」が設置され、3年間の作業を経て、2001年に「東アジア共同体に向けて」という中間報告が提出されて、その方向性が確定した。その後、2003年北京で「東アジア・シンクタンク・ネットワーク」「東アジア・フォーラム」などが次々と形成されてきました。日本では2004年5月に日本でのシンクタンク「東アジア共同体評議会」が10のシンクタンクの連合体として形成されました。
 
安曇野・・ なるほどね。リクアンユ、マハティールといった人たちの思いが、こうやって繋がっているんですね。日本はASEAN+3のメンバーで、かなり重要な位置を占めていると思いますが、「東アジアサミット」についての記事・論調は、少ないですね。
南雲 東アジア共同体評議会が形成された頃の熱が、薄くなってきていることも事実ですが・・・。
クインシー 誰かがじゃまをしているのですか。
南雲・・ 1998年のアジア・ビジョン・グループの形成を宣言した頃の日本の首相は小渕首相だったんです。その頃は金大中さんと小渕さんが全体をリードしていましたね。日本に期待することがも大きかったんですが、この頃の日−韓、日−中という関係の冷え込み、中国経済の台頭、アメリカの太平洋新戦略の中で、日本自身の役割、期待の変化、日本のアメリカ寄りの発言に対する各国の変化などにより、国内の論調も変わってきた。
安曇野

それでも今年の施政方針演説で、小泉首相は「東アジア共同体」という言葉を使っていますし、この共同体の形成に向けた日本の役割を外交政策の一つに規定しています。又、先の評議会はこの5月「東アジア共同体と日本の外交戦略」という文章を提起しています。

南雲・・ 北東アジアをめぐる緊張と東アジア共同体の形成というテーマは同一のレベルで解決できる問題なのですが、アメリカの世界戦略に抵触して、東アジアサミットのフレームでは扱えないんですね。小泉さんはジャカルタで、日米関係が良好であれば、日中関係も上手くいく、って失言してしまった。世界の覇者アメリカの影が日本には常につきまとう。アジア域内の問題を各国が協力して解決しようということが、あたりまえに出来ない現状が歯がゆいですね。日本だけなんですよね。アメリカを入れようと言っているのは。このスタンスのずれが、ASEANとASEAN+3の方針をめぐる差異、昨年ごろからアメリカ重視の立場の人たちが「東アジア共同体の幻想」「東アジアサミットの限界」といった言説が急増し始め、これまでの流れを逆流させようとしていますね 。
クインシー どういう論調ですか。
南雲 アメリカを排除するのはおかしい、という主張。もう一つは中国は共産主義の国だから一緒に出来ない。地域が広すぎて政治風土も宗教もそれぞれ異なるのだから「共同体」というひとつの政治・経済の単位にはならないという主張です。
安曇野・・ 私は大東亜共栄圏という過去の誤りの総括が揺るぎはじめている、ここ一年来の論調からすると、とても恥ずかしくてアジアの人たちに発信できません。歴史認識が問われているということは、そういうことだと思っております。でも東アジア共同体が提案され、この15年間の努力の結果ここまで進んできたということは素晴らしいではないですか 。
南雲 

歴史学上の問題としては確定しているんですが、政治的思惑が色々あって、歴史修正主義の逆流が学問レベルとの異なる場で起きています。私は一過性のものだと思っています。アメリカも大切でしょうが、中国と関係、アジアとの絆を結んでいくことが、日本にとってどれだけ大切か、真剣に考えなければならないのが、今だと思います。15年戦争というのは、イギリスと日本の市場分割戦だったはずです。欲を出しすぎてアメリカを引き込んで大敗北をした。これが、いわゆる太平洋戦争です。アジアの戦争は、明らかに植民地市場分割だった、というのが私の見解です 。

安曇野・・ あの戦争については、それ相応の政治責任を果たさなければならないこと、その反省が東アジア共同体形成に向けた日本の役割に反映すればいいですね。クアラルンプールでの東アジアサミットの成功を祈りたいですね。主人公は、20億のアジア人なのです。
クインシー きっと成功して、アジアの未来を示すでしょうし、私たちの仕事にも大きな光がさしてくるでしょう。今日はどうもありがとうございました 。
(12月5日)